こんなことある?!

朝、仕事で頭を悩ませ、あまりの疲労にとうとうに寝坊。

癌治療で有給休暇を使ったため、残数少なく、その少ない有給は緊急にとっておく必要があり、疲れで使うわけにはかない。

慌てて身支度をして、家を出て会社へと急ぎ、なんとか間に合いそう!と、ホッとしたのもつかの間。

ヒュッと何かが私の頭上を飛んで行った。

うそーっ!

叫んだね。

もう、知らず声が出た。

なんとカラスが私のウイッグを掴んで飛んで行った。

人目の中、カラスを追いかけた。

幸い、カラスはウイッグを落としてくれた。人工毛のストレートボブのウイッグの光沢がカラスの興味を誘ったが、掴んでみてこれは巣作りに向いていないと判断して離したのだろうか。

地面に落ちたウイッグとその下にかぶっていた汗対策の中帽子も、無事帰ってきた。

無事だけど。

涙目になりながら、人目の中ウイッグを被り、会社へと急いだ。

ウイッグの人工毛ぼさぼさながら、遅刻は免れた。

カラスに近まれた部分がごそっと剥げた。

カラスめ!

 

先に書いておこうかな

乳がん確定し、治療に入る前に私がひたすらネットで検索しした事は、働きながら治療した人の体験談。

有期契約非正規雇用の私は、長く休む事イコール契約終了となってしまう立場でした。 年間契約のため、契約更新時までに復帰していないと契約終了であり、それは避けたかった。有期雇用のため、満了での契約終了はくるけれどあと数年残っている。

無職になり、次の仕事探しの心配をしながらの治療では、治療に専念できない。

手術は致し方ないが、それ以外は休まず治療したい。

抗がん剤も色々ある。

私の家は両親とも抗がん剤経験者であるが、いずれも入院しての抗がん剤治療をした。

だが私の乳がん治療は通院だ。ならば仕事に行けるのでは?

仕事以外に父のこともあった。

私の癌が確定したのは、父が癌の治療をしないと宣言していた後だった。つらい治療や入院はもうしたくないと言った。

社会生活が苦手な私は、仕事に関していいとこなしであり、職歴は父の移行に沿うものではなく、結婚もできず、自立できない出来損ないというのが家族の私の評価でした。

何をするにも疲れてしまう。人が怖くて、社会も怖い。何より私は、ずっと、今も誰にも内緒にしているが、文章が書いてあるそのままでは理解できない特性持ち。あと人の顔も判別できない。

人好きではあるけれど、人が怖い。

長年の苦労と工夫で、今は一定数ならば、覚えていられます。文章は、組み替えれば理解できると気づき、自分で組み替えて読み直しています。

言葉は無意識に組み替えているので、支障はないですが、疲れます。

内緒にしていても社会生活は出来ています。ですが疲れます。私なりに必死だったりもするため、疲れやすく、よく寝転んでいます。

家族にしてみれば、よく家でゴロゴロしている怠け者。

しかし、その私が頑張ればどうだろう。

父は癌の治療をしてくるのではないか?

根性論が第一の家系。

私の特性など、話しても根性なしだから克服できないんだと一蹴される環境です。正直軽蔑されることもあり。

怠け者は本当のこと。疲れてしまい頑張れない。

でも今回は。

頑張ろう。

私は父に褒めれた事が殆どない。いい年をした大人になっても、褒めてもらいたいという気持がある。

父も私も癌である。

頑張りをみせて、あの怠け者が頑張ってるなら自分もと、癌の治療をする方向に変えてもらいたかった。

父に認めても貰いたかった。

当時の私は、仕事と父、ふたつの大きな理由から、働きながらの治療以外選択史にはなかった。

 

父の事、自分の事

1月末に放射線治療が終わり、あれから3カ月。

初めてのかかりつけ医での3カ月に一度の定期健診にそろそろいく時期。

今まで私が風邪等で通っていた個人院の内科はお爺さん先生で、数年前より先生の年もあり営業時間縮小となっていた。

そのため、乳がん定期健診のための病院を新たに決めなくてはならない。

父がそうであったように、私も癌で死ぬかもしれない。

癌の種類も違うし、父と私は別の人間で同一ではない。

父は自宅での死を願い、先生の静止(正確にはもう通院という段階ではないので、最期を迎えるための施設を決めてくださいと告知された)があるまでギリギリまで通院し、自宅への訪問看護に切替え、最期を迎えた。

癌で死ぬということの段階は、日常を同じくする中で父に教えてもらえたような気がしている。

私はわからない事への恐れが強い人なので、こうなっていくんだという一端を見たことでその恐れは、すごく軽減されている。

私は父ほど頑張るつもりはない。というか頑張れない。父は頑張りすぎた。

父は、癌の痛みの段階はもっと先があると思っていたようで、それが最期の痛みであるとは思わないまま痛み止めの強さレベルを温存し、我慢もしていた。

訪問介護士さんに、毎日痛みレベルを聞かれていたが、最期の二日前まで5段階の3で前日で4。最後まで5とは言わなかった。

最期まで脳はしっかりしていた。

モルヒネで寝たままになるのが嫌だというのでも無く、ただただ感情に身を任せていたような気もする。

病気を克服できない事を悔しいと口にし、納得できない怒りにまかせて、こんなものには自分は屈服されないとでもいうように痛みに挑戦していたような節もあった。

とにかく始終怒っていた。

父らしいといえば、父らしい。父の感情のあり様については、当時も辛く、今も辛い。「父らしい。頑固も頑固。父は自分を貫いたねー」とよく姉と話す。

父は最期まで父だった。

私はどうか?

父を思いながら、自身はどうかと考えた。

もし私が再発して治療がうまくいかなかったとき、私は施設に入り痛みに応じて強い痛み止めを処方してもらい、可能な限り痛みを感じないように眠っていたい。

あくまで現時点の心持の話であり、自身の状況も家族の状況もその時どうだかは分からないし。

再発しないといいなと願う。

だけど、した時の心の覚悟もある程度はしておきたい。

長生きしたとしても、始まりと終わりでは終わりが近い年になっている。

終わりに対して慌てたくはないなと、ぼんやりと思う。

不慣れすぎる

ブログを使っていたつもりが、ダイアリーを使用していた。

インポートがうまくできず、コピペで地道に記事を移行し、ただいま完了。

過去遡りで書いているので、ややこしく読みずらいかと思案。

なるべく過去記事を中心に上げて行こう。

続く抗がん剤の副作用

パクリタキセル投薬時、アレルギーで全身に湿疹がでで、特に両足は湿疹で真っ赤。引っ掻き傷で血だらけになり、みるも無残な汚い肌になってました。

当時の激しい反応が示しているかのように、足の副作用は今も強くあり、足の裏がゴムまりのよう。丸いゴムが足と地面に間に入っているような違和感が歩行時にある。

いつも冷えた感じがしていて、就寝時は湯たんぽが欠かせない。もう暑い時期なのに。

入浴後は血流がよくなるせいか、内股が真っ赤になる。

丁度、湿疹がひどかった辺りが特に赤くなり痒みも出る。だけど、血流はよくしておきたいので、毎日長湯して、じっくり温める。

朝は足の裏の違和感が強く、起きたくなくなる。

不思議なことに、最近たまに膝も動かしずらい時がある。

時間とともに治ってくるはずなのに、足に関しては今のところ悪くなっているような。

毎日早く治ることを願って、トレーニングの夜散歩をしつつ、焦らないよう言い聞かせている。

GWにやると決めていたこと実行 その3完了

2月末に一通りの治療が終わったのですが、いまだに動くと直ぐに息が上がる。

肩が動く呼吸の仕方に、またなっている。

身体が変わったのだから、前の通りとはいかないか。焦りすぎ。まだ、手術をしてから1年経ってないのだし。

だけど半年は経ってる。とも思ってしまう。

髪の毛もまだ短いクルクルで、仕事に行くのにウイッグ外せないのに。

髪の毛か。

髪の毛。クルクルは何とかならないものかな。最初、キューピー髪型で人生でこんなファンキーな髪形の自分を見る日が来るとは。と少し、ふふっとしていたが、上に伸びる伸びる。で、ものすごい大カールで大波のようにくるっと巻いてきた。おまけに左右の髪は外はねで、形容しがたい面白髪型になってきた。

生え始めの白髪が途中から黒い髪に変わったように、いつかはクルクルしなくなるとは聞くが、その前にストレートパーマは必要だろう。

くせ毛はでウイッグの中はわさわさしていて、納まり悪いし、サイズも髪の分だけキツクなりつつある。

ストレートパーマをかけても、超ベリーショートでは会社に行けない。シュッとした顔ならカッコいいだろうが、違うし。

仕事以外では私はほぼウイッグはつけない。

髪ナシの去年は夏は大きめのハンカチをバンダナにして出歩き、冬はつば付き毛糸帽子で過ごした。

髪ないと全身寒い。毛糸帽子なしでは外出れなかった寒くて。

今は、春用帽子。しまむらで良いのがあってお気に入り。

生えてきた髪は、とても柔らかな赤ちゃん髪で触り心地は抜群。

面白くせ毛は困ったものだけど、この手触りは素晴らしいなと、テレビ見ながら、さわさわして感触の気持ちよさを味わっている。

 

タイトルの、WGにやると決めていたことラストは、庭の蜜柑の木の害虫駆除薬散布。

家の庭には、私がずっと手入れしてきた木が1本あり。亡父の趣味の家には6本ある。家の庭で蜜柑がなるなんて凄い!味も肥料をきちんとあげれば酸味はあるが、さっぱりした甘味で美味しい!と感激していたら、父が毎年本数を増やしていて気づいたら6本になっていた。

家族が喜んだから増えていったみかんの木。一番最後に植えた木は、育ったが実がならす。また今年もダメだったと去年言っていた。

その木に今年初めて花がいっぱい咲いていた。

父に見てもらいたかったな。

毎年収穫を楽しみにしている大事な木。

家庭の庭なので、大きくなりすぎないように剪定が大変。農薬散布も父が使っていた背負って使う散布機械は私にはよくわからず、地道にスプレーして巻いた。

明日は仕事。本当は今日映画に行きたかったけど行かなかった。ドクターストレンジ。

明日疲れ過ぎてなかったらレイトショー行こう。

GWにやると決めていたこと実行 その2

家の玄関先には小庭がある。本当に小さな空間だが、松の木や椿、笹みたいな葉がなる木。鈴らん、シダ系の植物。

手入れをしないと、手におえない位に大きくなってしまう。私が剪定できる高さにとどめておかないと後々大変になる。

松の木は、都会に住む姉が旦那さんと来てくれて、大胆に枝を切ってくれた。

姉と旦那さんは、去年父が亡くなった後、父の趣味の家の庭も、私が管理できる形にまで綺麗にしてくれている。とても感謝している。

夏に向けて成長著しい木々や植物。緑が増えすぎていたため、ノコギリ、剪定ハサミ、スコップと道具を持ち替え、引く、切る、掘る。

私用に、母が買ってくれた真新しいノコギリと剪定ハサミは優秀。

手も切った。

道具は優秀だが、使い手が優秀じゃなかった。

軍手は大事!

手も腕も傷だらけになったが、庭はスッキリ。

手術跡が突っ張り、腕を動かすと痛いが気にしていたら何もできない。やってよかった。